宗像大島の由来と歴史

神話に名を残す女神の島から、沖ノ島を守ってきた「神守る島」へ。古事記・日本書紀の時代から、出光佐三が後押しした沖ノ島の学術調査、世界遺産登録まで、宗像大島の歩みをたどります。

神話:アマテラスとスサノオの誓約から生まれた三女神

『古事記』(712年)には、天照大御神と須佐之男命が天安河を挟んで行った「うけい(誓約)」の場面があります。天照大御神が須佐之男命の十拳剣を三つに折り、噛み砕いて吹き出した息の霧から、三柱の女神が生まれました。これが宗像三女神です。

古事記は、三女神がそれぞれ胸形(宗像)の奥津宮・中津宮・辺津宮に坐し、「胸形君等が以ち伊都久(いつく)三前の大神」、つまり宗像氏が祀る神であると記しています。

『日本書紀』(720年)には、天照大神が三女神に「汝三の神、宜しく道の中に降り居して、天孫を助け奉りて、天孫に祭かれよ」と命じたことが記されます。三女神は大陸・朝鮮半島へ向かう海の道を守る神「道主貴(みちぬしのむち)」とされ、宗像大社は今もこの神勅を由緒として伝えています。

三女神と三つの宮

どの女神がどの宮に祀られるかは、古事記・日本書紀(一書)・現在の宗像大社で異なります。

宮古事記日本書紀(第二の一書)現在の宗像大社
沖津宮(沖ノ島)多紀理毘売命(奥津嶋比売命)市杵嶋姫命田心姫神
中津宮(大島)市寸嶋比売命(狭依毘売命)田心姫湍津姫神
辺津宮(本土・田島)田寸津比売命(多岐都比売命)湍津姫市杵島姫神

大島の中津宮は現在、湍津姫神(たぎつひめのかみ)を祀っています。日本書紀の本文は三女神の生まれた順を田心姫・湍津姫・市杵嶋姫とし、鎮座地は記していません。

古代:沖ノ島の祭祀と、大島の御嶽山

玄界灘に浮かぶ沖ノ島では、4世紀後半から9世紀末まで、航海の安全にかかわる祭祀が約500年にわたって行われました。奉献された品々約8万点は、すべて国宝に指定されています。

7世紀後半には、大島の最高点・御嶽山(標高224m)の山頂と九州本土でも、沖ノ島と同じ形の露天祭祀が始まります。晴れた日には山頂から沖ノ島が見え、その後、山頂には御嶽神社、麓には中津宮の本殿・拝殿が築かれました。

三女神を祀ったのは、高い航海技術を持ち対外交流に携わった古代の豪族・宗像氏(胸形君)です。大化の改新ののち宗像は九州で唯一の「神郡」となり、宗像氏は郡司と大宮司を世襲しました。戦国時代の大宮司・宗像氏貞は、1559年に大友氏に攻められた際、大島城に逃れています。1586年、氏貞の死で大宮司家は途絶えましたが、信仰は神職と島の人々に受け継がれていきます。

中世:中津宮と七夕

14世紀後半の『宗像大菩薩御縁起』には大島の中津宮の末社23社が記され、中津宮の建立は鎌倉時代末ごろと推測されています。本殿は福岡県指定文化財です。宗像大社は本殿を永禄9年(1566)のものとし、一方で平成9年の修理では承応4年(1655)の墨書が見つかっています。拝殿は1928年の建築です。

中津宮の境内には「天の川」が流れ、それを挟んで牽牛社と織女社が祀られています。1346年の『正平年中行事』には、七夕に両社にこもり、川の水を張ったたらいに映る姿で男女の縁を定めたという「七夕虫振神事」が記されています。大島は七夕伝説発祥の地ともいわれ、今も8月7日に七夕祭が行われます。

近世〜近代:神を守る島の暮らし

沖ノ島は、今も神職以外の上陸が認められず、「一木一草一石たりとも持ち出してはならない」「島で見聞きしたことを口外してはならない」という掟が守られています。上陸できない人々のために、大島の北岸には沖ノ島を拝む沖津宮遙拝所が設けられ、1701年の筑前図に「奥津宮鳥居」として初めて姿を見せます。現在の拝殿は1933年の再建です。

江戸時代、福岡藩は大島に異国船を見張る遠見番所を置きました。沖ノ島の周りで漁をする大島の漁師たちは「沖ノ島仲間」と呼ばれ、その日いちばん大きな魚をお宮に献上する習わしとともに、沖ノ島を守ってきました。大島が「神守る島」と呼ばれるゆえんです。

1905年には沖ノ島近海で日本海海戦があり、1926年に筑前大島灯台が灯をともしました。1936年には島の北部に大島砲台が築かれ、そのコンクリートの砲座は今も風車展望所のそばに残ります。2005年、大島村は宗像市と合併しました。

昭和:出光佐三と沖ノ島の学術調査

沖ノ島の価値が世界に知られるきっかけをつくったのが、宗像市赤間出身で出光興産の創業者、出光佐三です。故郷の宗像神社が荒廃していることを憂い、自ら会長となって「宗像神社復興期成会」を立ち上げました。

期成会はまず神社史の編さんに取りかかりましたが、神社の歴史を本当に知るには沖ノ島の歴史を解き明かす必要があるとして、1954年から1971年にかけて3次にわたる学術調査が行われました。こうして沖ノ島の祭祀遺跡の考古学的な価値が明らかになり、約8万点の国宝、そして2017年の世界遺産登録へとつながっていきます。

高度経済成長期には玄界灘を行き来する船の性能が上がり、沖ノ島に避難港も築かれました。島に近づきやすくなることで起こりうる祭祀遺跡の盗掘を、調査によって未然に防ぐことも目的の一つだったといわれています。

現代:世界遺産「神宿る島」

2017年7月、「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」が世界文化遺産に登録されました。構成資産8件のうち、大島にある宗像大社中津宮と沖津宮遙拝所の2件も含まれます。古代から現在まで受け継がれてきた「神聖な島を崇拝する文化的伝統」が評価されたものです。

島の名前

「大島」の名は、文字どおり大きな島であることに加え、宗像大社中津宮が鎮座することから、尊んで「大いなる島」の意味を込めたとする説があります(『福岡県地名考』)。大島は福岡県でいちばん大きな島です。

年表

  • 沖ノ島で、航海の安全にかかわる古代祭祀が始まる(岩上祭祀)
  • 大島の御嶽山山頂と九州本土でも、沖ノ島と同じ形の露天祭祀が始まる
  • 『古事記』成立。宗像三女神が胸形(宗像)の奥津宮・中津宮・辺津宮に坐すと記す
  • 『日本書紀』成立。三女神に「天孫を助け奉りて、天孫に祭かれよ」との神勅
  • 沖ノ島での古代祭祀が終わる。約8万点の奉献品はすべて国宝に
  • 『正平年中行事』に、中津宮の牽牛社・織女社での「七夕虫振神事」の記録
  • 大宮司・宗像氏貞が大友氏の攻撃を受け、大島城に逃れる
  • 宗像大社は中津宮本殿(福岡県指定文化財)を永禄9年のものとする
  • 平成9年の修理で、中津宮本殿から承応4年(1655)の墨書が見つかる
  • 福岡藩が大島に異国船を見張る遠見番所を置く。加代・長畑は流刑地にも
  • 筑前図に「奥津宮鳥居」。沖津宮遙拝所が文献に初めて現れる
  • 沖ノ島近海で日本海海戦
  • 筑前大島灯台が初点灯
  • 中津宮拝殿が建てられる
  • 沖津宮遙拝所が再建される
  • 島の北部に大島砲台が完成(15cmカノン砲4門)
  • 出光佐三が会長を務める宗像神社復興期成会のもとで、沖ノ島の学術調査が3次にわたり行われる
  • 大島村が宗像市と合併し、「宗像市大島」に
  • 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群が世界遺産に。大島の中津宮と沖津宮遙拝所も構成資産に
島を訪ねるなら:宗像大社 中津宮、沖津宮遙拝所、御嶽山と砲台跡をめぐると、ここに書いた歴史の舞台を歩けます。

出典:宗像大社「由緒」/宗像大社「中津宮」/世界遺産「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 公式/國學院大學 古事記ビューア「うけひ」/むなかた電子博物館「大島の歴史・文化」(出光佐三と学術調査を含む)/宗像市「時間旅行ムナカタ(砲台)」。中津宮本殿の年代のように資料によって記述が異なる点は、両方を記載しています。